第2章 備品庫のラベルが語ること

第2章 備品庫のラベルが語ること 教室で鉛筆ケースが消えた

ガチャリ。

鍵が回る音は小さいのに、なぜか胸の中まで響く気がした。
先生がドアノブを押すと、学校の「備品庫」の扉がゆっくり開く。

薄暗い。だけど、怖くない。
むしろ、探検のはじまりみたいだった。

廊下の明るさが、ドアのすき間から細長い光の帯になって床へ伸びる。その光が、積み重なった箱やモップの柄、ボールのネットに切り取られて、影が映画みたいに動いた。

ふわり、と紙とゴムと木の匂い。
きっと、たくさんの「みんなが使うもの」が眠っている匂いだ。

ぼくと相棒は、先生のうしろに並んだ。
相棒は目がいい。ぼくは音に敏感。前の章から、もう「小さな探偵」気分が抜けない。

「大げさじゃない困りごとなんだけどね」
先生が笑いながら言った。
「図工の時間に使う“水彩パレットの箱”が、数が合わないの。足りないってわけじゃなくて、なぜか違う箱が混じっていて、準備が遅れちゃうのよ」

相棒がすぐに「確かめる質問」を投げた。
「先生、いつからですか? 今日だけ? それとも前の時間から?」
「うーん、先週の図工でも、ちょっと変だった気がするわ。今日ははっきり“おかしい”って思った」

ぼくも続ける。
「最後に備品庫を使ったのは、どの学年のどの授業ですか?」
先生は、備品庫の奥を指さしながら答えた。
「昨日は体育の先生がボールを取りに来てた。図工のものは…たぶん、四年生が先に使ったはず」

事件、というより“整理の謎”。
でも、こういうのほど、観察と整理が効く。

「じゃあ、見ていいですか?」と相棒。
「もちろん。危ないものは触らないでね」先生はうなずき、照明のスイッチを入れた。
パッ、と明るくなる。影が短くなって、棚がよく見えた。

備品庫の中は、きちんとしている…はずだった。
だけど、よく見ると、ほんの少しだけ“ずれ”がある。
その“ほんの少し”が、今日の謎の入口だった。

観察 ――備品庫は「小さな違和感」が落ちている場所

ぼくらは、棚の前で立ち止まり、まず“手を出さずに”目と耳で集めることにした。
先生も協力して、必要な箱の棚を指さしてくれる。

「水彩パレットの箱は、あの棚の中段。ラベルに『パレット』って貼ってある」

棚には、透明な収納箱がいくつも並んでいた。
そのひとつひとつに、白いラベル。マジックで大きく名前が書いてある。

相棒が、ラベルの列をじっと見る。
「先生、これ…ラベルが少しずれてます」

ぼくも目を細めた。
確かに、“パレット”と書いてあるラベルだけ、ほんの数ミリ斜め。貼り直したみたいに端が少し浮いている。

[手がかり1:棚のラベルのずれ(貼り直し跡)]
相棒は、ラベルには触れないまま、箱の前面を横からのぞいて、浮き具合を確かめる。
「ここだけ貼り直したなら、何か理由があったのかも。箱が入れ替わったとか」

次に、ぼくは床を見た。備品庫の床には、うっすらほこりがある。掃除はしてあるけれど、倉庫だから、完全につるつるにはならない。

すると、棚の前の床に、細い筋が一本走っていた。
ほこりが、引っぱられたみたいに薄くなっている。

[手がかり2:床のほこりの筋(何かが引きずられた跡)]
ぼくは、床に顔を近づけすぎないように気をつけながら、筋の向きを目で追った。筋は棚の前から始まって、少し斜めに通路へ伸び、別の棚の足元で消えている。

「これ、箱を動かした跡っぽい」
ぼくが言うと、相棒がうなずく。
「ほこりの筋は、勝手にはできにくいもんね」

そして、先生が困っている“混じっている箱”を、目で探した。
水彩パレットの箱のはずが、同じ形の箱がいくつもある。まるで“双子”だ。

相棒が棚の中段を数える。
「同じサイズの箱が…ここに三つ。ラベルは全部『パレット』。でも先生は『違う箱が混じってる』って言いましたよね」

先生が頷いて、ひとつを指さした。
「この箱だけ、中身が筆洗い(プラスチックの小さなバケツ)なの。形が似ていて、見た目だけだとわからないのよ」

なるほど。箱の形が同じだと、ラベルだけが頼りになる。
そしてラベルがずれている…ということは。

相棒が、箱の透明な側面から中を見た。
「この箱、ほんとだ。中が違う。パレットじゃなくて筆洗い」

[手がかり3:同じ形の箱の置き間違い(外見がそっくり)]
“同じ形”が、謎を作る。
そして“置き間違い”は、だれかの悪意じゃなく、よくあることだ。

ところが、その時。
棚の前の床に、ものすごく目立つ“足あと”があるのを見つけた。

丸くて、濃い青。ポン、ポン、と二つ。
まるで、犯人がスタンプで足あとを残したみたい。

「これ、あやしい…!」と、近くにいた友だちが言いかけた。
ぼくも一瞬ドキッとした。青い足あとって、普通じゃない。

でも相棒は、すぐに決めつけなかった。
「目立つのは確か。でも“あやしい”はまだ推測。まず、何の跡か確かめよう」

[赤ひげ(誤った手がかり):怪しい足あと風スタンプ(青い足あと)]
いかにも事件っぽい。だけど、“見た目が派手”は、真実とは限らない。

観察で集まったことを、心の中で並べる。

  • ラベルがずれている(貼り直した跡)
  • ほこりの筋が通路へ伸びている(何かが移動した)
  • 同じ形の箱が並び、ひとつだけ中身が違う(置き間違いが起こりやすい)
  • 青い足あとスタンプみたいな跡がある(目立つが正体不明)

「よし。次は仮説だ」

仮説 ――一つに決めない、道をいくつか用意する

相棒が小さく指を立てる。
「仮説をいくつか出して、あとで消していこう。まず三つ」

  1. ラベルの貼り間違い/貼り替えで、中身とラベルがずれた。
  2. 箱が移動したときに、同じ形の箱を取り違えた。ほこりの筋はその跡。
  3. **別の授業で使った人が“親切に戻した”**けど、戻す棚を間違えた。

そして、みんなが頭に浮かべてしまう仮説も、いちおう置く。
4) だれかがわざと混ぜた(いたずら)。

ぼくは、持ち物がなくなるよりは心配が少ないけれど、それでも“だれかのせい”にしたくないと思った。備品庫はみんなの場所。雰囲気が悪くなるのはいやだ。

「4は最後。証拠が出るまで、箱に入れて棚の上」
ぼくが言うと、相棒が笑った。
「うん、その言い方いいね」

先生も、やさしく言った。
「まずは、準備がスムーズになればいいの。だれかを困らせるために来たんじゃないからね」

ぼくらはうなずき合い、次の段階へ進んだ。

検証/確認 ――“確かめる質問”で、事実を集める

1)ラベルのずれ:いつ、だれが貼り直した?

相棒が先生に質問する。
「先生、ラベルって、だれが貼ったんですか? いつ頃?」

先生は少し考えてから答えた。
「新学期に、係の先生たちでまとめて貼ったわ。私は体育用品の棚を担当したから、図工の棚は別の先生ね。貼り直したかどうかは…わからない」

そこでぼくらは、“貼り直した人”を探すのではなく、“貼り直した理由”を探すことにした。

相棒が言う。
「ラベルがずれたのは、箱を入れ替えるときに急いで貼り直したとか、汚れたから貼り替えたとか、自然な理由もあります」

先生はうなずく。
「そうね。では、図工担当の先生に聞いてみようか。今すぐ呼んでくるわ」

待っている間、ぼくらは他の手がかりへ。

2)ほこりの筋:どの箱が動いた?

ぼくは床の筋を指さし、先生に確認する。
「この筋、昨日か今日にできた感じですか? それとも前から?」

先生はしゃがんで見て、首をかしげた。
「前からあったかは…覚えてないけど、棚の前はよく通るから、こんなにはっきりした筋は最近かも」

ぼくは筋の終わりを見に行きたいけれど、走らない。備品庫は狭いし、物が倒れたら危ない。
相棒が通路をあけるように少し横へよけてくれて、ぼくは筋の先を目で追う。

筋は、別の棚の足元で止まっている。そこには「体育」と書かれたラベルの箱が積まれていた。
そして、棚の一番下に、同じ形の透明箱が一つだけ置かれている。

相棒が目を細める。
「ねえ、あそこにも同じ箱ある。図工の箱とサイズが似てる」

先生が確認する。
「体育の棚に同じ箱?…あら、本当ね」

箱は透明で、中身は…丸いものがいっぱい。
よく見ると、体育で使う“マーカーコーン”(小さい目印の円盤)だった。

ぼくは思った。
同じ形の箱が、図工にも体育にもある。
これは、取り違えが起きやすい条件だ。

3)箱の置き間違い:中身を見て照合

先生の許可を得て、ぼくらは「触らずに」中身を目で確認することにした。
透明箱は、見えるのが強い。

相棒が、図工棚の「パレット」ラベルの箱を三つ、順番に見比べる。

  • 箱A:パレットが入っている
  • 箱B:パレットが入っている
  • 箱C:筆洗いが入っている(ラベルは“パレット”)

「つまり、ラベルと中身が一致してない箱がある」
相棒の声が落ち着いているのが、なんだか安心だった。

次に体育棚の下の箱。
中身はマーカーコーン。ラベルは…“コーン”ではなく、なんと「パレット」と書かれた紙が、上から貼られているように見えた。

相棒が先生に確認する。
「先生、このラベル、二重になってませんか?」
先生が近づいて目をこらす。
「ほんとだ。下に別の文字がある。『コーン』って…書いてあるわ!」

“ラベルのずれ”が手がかりである理由がここで分かる。
ラベルが貼り直された形跡がある=上から別のラベルを貼った可能性がある。

4)赤ひげ:青い足あと風スタンプの正体

最後に、目立つ青い足あと。
ぼくらは怖がるのではなく、正体を確かめる質問を使う。

ぼくが先生に聞く。
「先生、この青い跡って、何の授業で使いますか?」
先生は笑って答えた。
「あ、それね。体育で使う“スタンプ”よ。床に直接じゃなくて、マットや紙に押すこともあるけど、今日は体育の先生が“目印用”に使ったのかも」

ちょうどそこへ、体育の先生が通りかかった。先生が声をかける。
「体育の先生! この青い跡、今日使いました?」
体育の先生は、あっさりうなずいた。
「使った使った。低学年の“ステップ練習”でね。足の位置が分かるようにスタンプ押したんだ。片づけの時、うっかり一つ落としたかも」

[赤ひげ(誤った手がかり)判明:体育スタンプの跡]
目立つから怪しく見えたけれど、授業の道具として説明できる。事件とは関係なかった。

これで、余計な心配がひとつ消えた。

5)聞き取り:いつ、だれが「その棚」を触った?

先生が連れてきてくれた図工担当の先生にも、ぼくらは“責めない聞き方”で質問した。

相棒が言う。
「先生、ラベルを貼り直した覚えはありますか? もしあれば、いつ頃、どんな理由で?」

図工の先生は少し驚いた顔をして、それから思い出したように言った。
「あ、貼り直したかも。先週、箱のラベルがはがれかけていてね。急いで貼ったの。…でも、上から貼ったか、貼り替えたか、そこまでは自信がないな」

ぼくが続ける。
「箱を別の場所に移動しましたか?」
「うーん、四年生の授業で一度、箱をまとめて机の横へ運んだ。そのあと戻してもらったと思う」

“戻してもらった”。
ここが大事だ。

ぼくらは、次の段階へ行けるだけの事実が集まった。

排除 ――「ありそう」でも証拠がない道を消していく

集めた事実を並べる。

  • 図工棚の“パレット”ラベルの箱のうち一つは中身が筆洗い(ラベル不一致)
  • ラベルがずれている/二重になっている箱がある(貼り直しの可能性)
  • ほこりの筋が体育棚の近くまで伸びている(箱が動いた可能性)
  • 体育棚にも図工棚にも“同じ形の透明箱”がある(取り違えが起きやすい)
  • 青い足あとは体育スタンプで説明できる(赤ひげ)
  • 図工の授業で箱を運び、児童が戻したことがある(善意の戻し間違いの可能性)

この時点で、仮説を整理する。

    1. わざと混ぜた(いたずら)
      → それを示す証拠がない。ほこりの筋やラベルのずれは、普通の片づけでも起こる。いったん保留
    1. ラベルの貼り間違い/貼り替え
      → 二重ラベルがある、ずれがある。あり得る
    1. 箱が移動したときに取り違え
      → ほこりの筋、同じ形の箱が複数ある。かなりあり得る
    1. 親切に戻したが棚を間違えた
      → 「児童が戻した」事実と一致。とてもあり得る

ぼくは、ほこりの筋の終点の体育棚の箱を見て、思った。
もし図工の“パレット”箱が体育棚へまぎれ、体育の箱が図工棚へ戻されたら…中身が混ざる。

つまり、入れ替わった可能性が高い。

相棒が、先生に提案した。
「箱の“本当の所属”を、ラベルじゃなくて中身でいったん整理しませんか? その上で、ラベルを正しく貼り直す」

先生は頷いた。
「いいわ。安全のため、重いものは先生が持つね」

ぼくらは、いよいよ結論へ。

結論 ――箱は犯人じゃなく、そっくりさんが作った勘違い

先生たちと一緒に、棚から箱を一つずつ出し、透明越しに中身を確認して、机の上に“図工”と“体育”で分けて並べた。
(運ぶときは必ず先生が見守り。ぼくらは無理に持たない。)

すると、見えてきた。

  • 図工のはずの棚に、体育のマーカーコーン箱が一つ入っていた
  • 体育の棚に、図工の筆洗い箱が一つ入っていた
  • さらに、体育棚の箱には「コーン」の上に「パレット」が貼られていて、逆も起きていた

つまり――
同じ形の透明箱を使っていたせいで、戻すときに“ラベルだけ”を頼りにして取り違えた。
しかもラベルがはがれかけていて、上から貼ったことで、余計に混乱した。

先生が、みんなに向けて言った。
「だれかが悪いわけじゃないわね。形が同じで、ラベルも途中で変わっていたら、間違えやすいもの」

図工の先生も笑った。
「私も急いで貼ってしまったから、分かりづらくしちゃったね」

体育の先生が、青いスタンプを持ち上げて言う。
「足あとでびっくりさせたのは私か。すまんすまん。これは犯人じゃなくて、ただの目印だ」

みんなが少し笑って、空気がやわらかくなった。

最後に先生は、解決を“次につなげる”形にした。

  • ラベルを貼り直す(上から貼らず、古いラベルをはがしてから)
  • 図工はラベルを緑、体育はラベルを青など、色を変える
  • 同じ形の箱でも、角に色テープを巻いて区別する

相棒が、ぼくに小さく言った。
「観察で見つけた“ずれ”が、最後まで役に立ったね」
ぼくは、ほこりの筋を思い出しながらうなずいた。
「道は、床にも残るんだな」

備品庫の灯りは、さっきより明るく感じた。
暗い場所が明るくなったんじゃない。
“分からない”が“分かった”に変わったからだ。

こうして、備品庫の謎は、だれも責めないまま、すっきり片づいた。
科学みたいに派手な実験はしていない。
でも、観察して、仮説を出して、確かめて、消して、まとめた
それが、ぼくらの探偵科学だった。

探偵ノート

思考レッスン:仮説は一つに決めず、複数出そう

「これにちがいない!」と最初に決めてしまうと、他の可能性が見えなくなる。
今回みたいに、

  • ラベルの問題かも
  • 移動の取り違えかも
  • 親切な戻し間違いかも
    …といくつか仮説を用意して、証拠でしぼっていくと、だれかを疑いすぎずに解決できる。

対話型質問(考えて答えてみよう)

  1. ラベルのずれは、どうして「手がかり」になったの?(ずれていると何が起こりやすい?)
  2. ほこりの筋を見て、どんな仮説が強くなった? 逆に弱くなった仮説はどれ?
  3. 青い足あとが“赤ひげ”だと分かった決め手は何だった?

自宅課題(安全):そっくり物の「取り違え防止」作戦

家にある、似た入れ物(同じサイズの箱、同じ色のケースなど)を2つ選んで、取り違えない工夫を1つ考えてみよう。
例:色テープを1本貼る/ラベルを大きく書く/置き場所を分ける。
できたら、家の人に「どっちがどっち?」クイズを出して、工夫が役立つか確かめてみよう(危ない場所や高い棚はさけてね)。

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