1章 学級ロッカー前の小さな失踪事件

1章 学級ロッカー前の小さな失踪事件 教室で鉛筆ケースが消えた

廊下の窓から、午後の光が斜めに差しこんでいた。
光の筋の中を、ちいさなホコリがキラキラ舞っている。まるで映画のスローモーションみたいに。

「カチャン」

だれかがロッカーのとびらを閉めた音が、学級のざわめきのすき間をすべってきた。
その音のあと、ほんの一瞬だけ――妙に静かになった気がした。

ぼくは、学級ロッカー前で立ち止まった。となりには、いつもいっしょにいる相棒がいる。相棒は、目がいい。ぼくは、音に敏感だ。ふたりとも、なぜか「気になる」が見つかると放っておけない。

そこへ、教室の中から、あわてた声が飛んできた。

「ねえ! ぼくの(わたしの)筆箱がない!」

声の主は、ついさっきまでロッカーの前で、ノートと教科書を入れかえていた子だった。顔が青い、というより、びっくりして赤くなっている。

「え、さっきここで出してたよね?」と相棒が言う。
「うん。お昼のあと…たしかにここで…」その子はロッカーの中を何度も見て、ランドセルのポケットまで探しはじめた。

筆箱。消えた。
たった一つの小さな箱なのに、そこにあるはずのものがないだけで、世界の形がちょっとだけ変わって見える。

ぼくと相棒は、目を合わせた。
「やる?」
「うん。だれも困らない形でね。」

こうして、ぼくらの小さな事件が始まった。

観察 ――「ない」を「見える」に変える

まず、ぼくは深呼吸して、いきなり探さないことにした。
消えたものを追いかける前に、「いまここにあるもの」を集める。探偵の基本だ。

相棒が、ロッカーの前の床にしゃがみこんだ。ぼくもつられてしゃがむ。床はつるつる…のはずなのに、よく見ると、細い白い筋がのびていた。

相棒が指でちょん、とさわって、指先を見せる。
白い粉がついていた。

[手がかり1:ロッカー床の白い粉の筋]
相棒は、そっと指をこすり合わせて確かめる。粉は軽くて、ふわっと消える。
「チョークの粉っぽいね。黒板のところのと同じ感じ」

ぼくは別のところに目をやった。ロッカーのふち、金属の角のところ。そこに、うすく光るものがひっかかっている。

相棒がそれをピンセットみたいに指先でつまみ、そっと引っぱった。
小さな、透明なシールの切れはし。しかも、うっすらと文字の一部が残っている。

[手がかり2:名札シールの切れ端]
相棒は「これ、筆箱に貼る“名前シール”のやつかも」と言って、落とさないように手のひらにのせた。
(筆箱って、名前シール貼ってる子、多い。)

ぼくは耳をすませた。さっきの「カチャン」のあと、頭の中で引っかかっている音がある。
――ころころ。
金属じゃない。消しゴムでもない。もっと軽い、プラスチックみたいな。

「ねえ、さっきロッカーのあたりで…ころころって聞こえなかった?」
ぼくが言うと、相棒が少し目を見開いた。

[手がかり3:ころころ転がる音の記憶]
相棒は、教室の方を見て、当番の子たちの動きも確認するみたいに視線を動かした。
「聞いたかも。あれ、筆箱が転がった音っぽい」

そしてもう一つ。ロッカーの前に、ちょっと目立つものがあった。
床に、茶色い「足あと」みたいな形。

土のついた運動靴のあと。なんだか、いかにも怪しい。
「だれかが持っていった?」と、その筆箱の持ち主が不安そうに言う。

相棒は、その足あとをじっと見て、言った。
「これは…怪しいけど、まだ決めない。赤ひげかもしれない」

[赤ひげ(誤った手がかり):泥の足あと]
いかにも“犯人の足あと”っぽい。けれど、学校には泥の足あとができる理由が、いくらでもある。

観察で集まったのは、これだけじゃない。
・ロッカーのとびらは閉まっている
・近くに落ちている筆記具はない
・筆箱の持ち主は「ここで出した」と言っている
・休み時間のあと、ちょうど掃除用具を出し入れしたクラスがあった(ぼくの記憶)

「よし。次は、考える番だ」

仮説 ――筆箱は「どこへ行ける」?

ぼくらはロッカーの前に立ったまま、頭の中で“起こりうること”を並べた。
犯人探しじゃない。筆箱が移動できる道を考える。

相棒が指を折りながら言う。
「仮説は3つくらいにしよう。多すぎると迷子になる」

1つ目。だれかが間違えて持っていった。似た筆箱、同じ色、同じ形。よくある。
2つ目。落ちて転がって、見えないところに入った。机の下、ロッカーのすき間、棚の奥。
3つ目。だれかが“落とし物”として安全な場所に移した。善意で片づけた可能性。

そして、みんなが心配するやつ。
4つ目。だれかがわざと隠した/持ち去った

筆箱の持ち主が、唇をかんで言う。
「…ぼく、だれかに嫌われてるのかな」

その声が、紙みたいに薄く震えた。
ぼくはあわてて首をふった。
「まだ何も決まってない。いちばん最後まで取っておこう。まずは“筆箱が勝手に動ける道”から」

相棒も、うなずく。
「白い粉の筋と、ころころって音。これは“転がった”仮説に近いよね」

筆箱は四角いけど、床がつるつるなら、少しのはずみで動く。
しかも、ロッカーの下には、ちょっとした“影”ができる。

「検証しよう。順番に」

検証/確認 ――確かめるのは「思い込み」じゃなく「事実」

1)白い粉の筋をたどる

相棒は、白い粉の筋を目で追った。筋は、ロッカー前から少し斜めにのびて、となりのロッカーの下あたりで薄くなっている。

相棒が小さな紙を出した。プリントの切れはしだ。
床をこすらないように、そっと粉の上をなでる。紙の端に白い粉がついた。

「これ、黒板の下に落ちてる粉と比べていい?」
相棒が先生に聞きに行く…のではなく、教室の黒板消しクリーナーの近くまで行って、床の隅の粉を指先でほんの少し取った(もちろん、散らかさない程度に)。

指先で比べる。質感が似ている。
「うん、同じ系統の粉だと思う。つまり――筆箱がここを通ったとき、粉を引っぱって筋ができた可能性がある」

“粉が手がかりである理由”がここで見える。
粉は勝手に長い筋になりにくい。何かがこすれて動いたから、筋になる。

2)名札シールの切れ端を「照合」する

次に、透明シールの切れ端。相棒は持ち主に尋ねた。

「筆箱に名前シール、貼ってる?」
「貼ってる! 透明のやつ!」

持ち主は、急に顔が明るくなったけど、すぐにまた不安そうになる。
「でも…切れ端がここにあるってことは…ここで取れたってことだよね?」

相棒はうなずきながらも、言い方を選んだ。
「“ここに来た”可能性は上がる。でも“だれかが取った”とは限らない。角に引っかかって、勝手にちぎれることもある」

そして相棒は、ロッカーの角を指でなぞった。ほんの少しだけ、出っぱりがある。
「ほら。ここ、シールの端が引っかかりやすい」

“シールが手がかりである理由”が行動で見える。
実際に引っかかる場所がある=筆箱が接触した可能性が高い。

3)「ころころ音」の再現

ぼくは、耳の記憶を事実に近づけたくて、同じ形っぽいものを探した。
相棒が自分の筆箱を持ってきて、持ち主の許可も得て、床にそっと置く。

「転がすよ。人がいない方向に」
相棒は、軽く押した。筆箱は…ころ、ころ、と短く転がって、止まった。

ぼくの耳の中の音と、かなり近い。

“音の記憶が手がかりである理由”がここで見える。
同じ種類の物が同じ音を出すなら、「ころころ」を筆箱と結びつける根拠が増える。

4)赤ひげの「泥の足あと」を確かめる

最後に、いかにも怪しい泥の足あと。
ぼくらは“犯人の足あと”と決めつけないで、まず質問した。

相棒が近くの子に聞く。
「今日、体育あった?」
「うん! 校庭、ちょっとぬれてた!」

さらに、足あとの形を見ると、校庭用の運動靴っぽい溝。
それに、足あとがロッカーの前だけじゃなく、廊下の別のところにも点々と続いている。

「この足あと、筆箱とは関係ない可能性が高い」
相棒が言うと、持ち主も少し肩の力が抜けた。

[赤ひげ(誤った手がかり)確定:泥の足あと]
怪しく見えるけど、学校生活の普通の出来事(体育)で説明できる。

排除 ――“ありそう”を消して、道をせまくする

検証して分かったことをもとに、仮説を整理する。

  • 泥の足あとは体育で説明できる → 「だれかがこっそり来た証拠」ではない
  • 白い粉の筋は“何かが床を動いた”可能性が高い → 「転がった」仮説が強くなる
  • 名札シールの切れ端はロッカー角でちぎれそう → 「この場所で筆箱が接触した」可能性が高い
  • ころころ音は筆箱で再現できた → 「転がった」仮説がさらに強い

つまり、いちばん怖い仮説(わざと隠した/持ち去った)は、今のところ証拠がない
逆に、転がって見えないところへ行った、または落とし物として移された、が残る。

相棒がロッカーの下をのぞきこんだ。
でも、暗くて見えにくい。手を入れるのは、ほこりもあるし、無理にやると危ない。

ぼくは思い出した。
「掃除のとき、ほうきでここ、さーってやるよね。もし筆箱が床にあったら…」

相棒がパッと顔を上げる。
「…押されて、転がる!」

白い粉の筋が、となりのロッカーの下で薄くなっているのも、説明できる。
そこに入りこんだら、もう筋は続かない。

そして、もう一つの“移された”仮説。
もしだれかが見つけて、先生に渡したり、落とし物かごへ入れたりしたなら、ここには残らない。

「よし。二つの道を同時に追おう」
相棒が言う。
「ぼくはロッカー下の“入った先”を探す。君は落とし物の場所を確認して」

ぼくはうなずいて、小走りで教室のすみにある“落とし物箱”のところへ向かった。
(勝手にあさらない。先生か当番の子に「見てもいい?」って一言言ってから。)

「落とし物、筆箱ある?」
当番の子が箱を見て、首をかしげる。
「えーと…消しゴムと、ハンカチと…あ、筆箱っぽいのある!」

ぼくの胸が、少しだけドキンと鳴った。
でも、箱から出てきたのは、違う色の筆箱だった。残念。

「でも、今ここに“筆箱が入る”ことはあるんだね」
ぼくは、情報として持ち帰ることにした。

そのころ相棒は、ロッカーのとなり、さらにそのとなりまで、床の見え方を変えながらのぞいていた。
そして、声をひそめて呼んだ。

「いた。…たぶん」

結論 ――消えた筆箱は、悪者じゃなく“すべり”のせい

ぼくが戻ると、相棒はロッカーの前で、手のひらを床にぴたっとつけていた。
まるで、床の温度を測るみたいに。

「ここ、ロッカーの下に“段差”がある。掃除で押されると、そこへ引っかかって止まる」
相棒は、細い定規を借りてきて、ロッカー下へそっと差し入れた。

カツン。
なにかに当たる音。

相棒が定規をほんの少し動かすと、奥から、かすかな「ころ…」という音がした。
ぼくの耳が、それを逃さない。

「やっぱり!」

先生に一言言ってから、長い棒(安全なもの)を借りて、ロッカーを動かさない範囲で、奥のものを手前に寄せる。
すると――すべって出てきた。

見覚えのある、あの筆箱。
角に、透明な名前シールの端が少しめくれている。ロッカーの角に引っかかったみたいに。

持ち主が両手で受け取って、目を丸くした。
「うそ…ほんとにあった!」

相棒が床の白い粉の筋を指さす。
「この筋、筆箱がここを通って、あっちの下に入ったって考えるとぴったり。ころころって音も一致。シールがちぎれたのも角のせい」

持ち主は筆箱をぎゅっと抱えて、ほっと息をついた。
「じゃあ、だれも盗んでない…?」

ぼくはうなずいた。
「うん。たぶん、休み時間のあとに荷物入れ替えて、ちょっと床に置いて…それで掃除のほうきが当たったんだと思う。筆箱が悪いわけでも、だれかが悪いわけでもない」

先生も近づいてきて、やさしく言った。
「見つかってよかったね。次からは、床に置くと転がりやすいから、いったん棚の上に置こうか」

持ち主は、顔を赤くして笑った。
「うん。…心配してくれてありがとう」

廊下の光の筋は、さっきより少しだけ短くなっていた。
事件は、映画みたいに派手じゃない。だけど、胸の中のもやもやが晴れていく感じは、スクリーンよりずっと本物だった。

相棒がぼくに小さく言った。
「“こわい仮説”は、証拠が出るまで棚に置く。今日もできたね」
ぼくは、うなずいた。
「次は、もっと早く粉に気づけるかも」

学級ロッカー前の小さな失踪事件は、だれも責めないまま、静かに終わった。

探偵ノート

(1) 思考レッスン:推測と事実を分けよう

  • 事実:目で見た・耳で聞いた・さわって確かめた「そのまま」の情報。
    例)床に白い粉の筋があった/ころころという音がした/ロッカーの角にシールが引っかかりやすかった。
  • 推測:事実をもとに「たぶんこうだ」と考えたこと。
    例)筆箱が転がったかもしれない/掃除のほうきが当たったかもしれない。

探偵は、推測をしていい。でも、推測を事実みたいに言わない。だから、だれも傷つけにくい。

(2) 対話型質問(考えて答えてみよう)

  1. 白い粉の筋は、どうして「手がかり」になったの?(ただの粉と何が違った?)
  2. 泥の足あとは、最初は怪しく見えたのに、どうして「赤ひげ」だと分かった?
  3. もし筆箱が見つからなかったら、次にどこを、どんな順番で確かめる?

(3) 家でできる小さな課題(安全)

「事実メモ探偵」をやってみよう。
家の中で“なくなったと思った物”(リモコン、消しゴム、靴下など)を1つ選んで、探す前にメモを書く。

  • 事実:最後に見た場所/見た時間/そのときしていたこと(3つ書く)
  • 推測:どこにありそうか(2つ書く)

そのあと、探して見つかったら、どの推測が当たったか/外れたかも書いてみよう。
※危ない場所(高い棚の上、コンセント周り、刃物の近く)は大人といっしょに。

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